国際基準の「子育て」〜究極の目標、子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜

 

子育ての究極、そして唯一の目標は「自立」です。それは世界中で揺るぎない事実で、子育てにこれ以外の目標は見当たりません。

しかし、「自立」とはどういうことなのでしょうか。

自立心の本質

自立とは読んで字のごとく自分で立つこと。

 

社会の中で自立した大人とはどういう人でしょう。自分のことは自分でできるということでしょうか。

言い換えれば、自分の面倒を自分で見ることができる人かもしれません。

ここで言う自分の面倒を見るというのは、言葉にすると簡単ですが実はそれほど簡単にできることではありません。

子育ての中でとても難しいのは、親や保護者がいなくても自分で自分の面倒を見なくてはならないという気持ちに移行させることなのです。

親が手を貸している子供から、大人になる瞬間というのは、いつなのでしょうか。「ある程度の年齢・学年になったら、これはできるようになる」ということを言う大人がいますが、これは自立させるという視点から見れば怠慢でしかありません。

 

自立とは、1つ1つのことを徐々に自分でできるようになる瞬間を積み重ね、完成されるものです。

 

例えば、赤ん坊が自分で立ち上がる時、それは大人へ向かう過程である一つのことができるようになる瞬間です。でもそれだけでは自立ではありません。それでも自立への第一歩であることに、変わりはありません。

もし既に子育てをされている方であれば思い出してみてください。我が子が初めて立ち上がった瞬間を。

親自身、喜びに満ち溢れていませんでしたか。我が子が床を這いつくばっていたのに、立ち上がった瞬間というのは、それは表現できないほど嬉しいものですね。

 

実は、こうした瞬間ひとつひとつが、自立へのステップで喜ぶべき瞬間なのだと思います。

 

子供が成長してくると、できるようになることが増えていきます。

しかし、いまの社会では勉強や習い事、友人との時間の中で何かができるようになる瞬間を見落としてしまいがちです。まして子育てをしている親の世代となれば、仕事も忙しかったり自分自身も余裕がないことが殆どかもしれません。

その中で、自立を最大の目標に子育てをしてその瞬間、瞬間を読み取っていくには、2つのことが必要になってきます。それは、親の「自律」と子供の「自立心」です。

親の自律がカギになる

お気づきかと思いますが、この「自律」は「自立」とは漢字が違う単語です。

「自分を律する」と書いて「自律」となります。

親が子育てをしていく中で、子供の自立を最大の目標にと言いましたが、この目標を見失わないために、親自身の自律が大切になってきます。

 

ルール2で出した例で幼稚園に通う子供の荷物を、親が持つか持たないかというものがありました。ここで親が持ってしまうことは、親が自分を律していない瞬間なのです。その場の子供の姿を見て「大変そうだから手伝ってあげよう」と思うことは、自分の心の中で優しさと思っていませんか? でもそれは、子供の自立を促すという視点から見ると本当に優しい行為なのでしょうか? 「この子はまだ4歳だから」とか「そのうち大きくなったら自分で持たなければいけなくなる」 などと思っていませんか? この瞬間が親が自律を忘れてしまう瞬間なのだと思います。この場面で本当の親の優しさというのは、「今この子がこの瞬間に荷物を持つことを覚えることが、自立への第一歩なのだから見守ってあげよう」というものではないのでしょうか。

 

そうなんです、その目の前にいる我が子は、いつの日かどんなに重い荷物でも自分のものは自分で持たなければいけなくなってしまう。そういう日が来るのですし、それは自立への第一歩なのです。

 

先に出した話で我が子は初めて立ち上がった瞬間がありましたが、もう一度思い出してください。

その時、自分の子供が自分の手の支えなしに立った時、それが一番嬉しい瞬間であったはずです。もしその時、親が手を貸して立っていたとしたなら、まだその立ち方がおぼつかないからこそ手を出しているのでしょう。

 

でも、その手を出しながら親の気持ちの中にあるのは、自分で早く立てるようになるんだよという応援の気持ちだと思います。そして更に言えば、この子は自分の力で立てるようにならなければいけないのだからという、親としての責任感もあると思うのです。

 

その責任感を無意識でなく意識に変えることこそが、親の自律になります。

 

ここは親の手を貸すところかそうでないか、という判断は子育てをしてみるとわかりますが、本当に難しいことです。そういう瞬間を見逃してしまうことも、私も多くありました。

しかし、その瞬間を丁寧に拾う責任感と、その瞬間に気付いて見守るように自分の助けたい瞬間的な衝動を抑えることが、本当の意味で子供の自立を促すことであり、自分を律する親の立派な姿なのでしょう。

自立させる瞬間を考える

先ほどから何度か出てくる、   自立の瞬間というのは具体的にどういう瞬間なのかを考えてみます。

 

赤ん坊の時に立ち上がる瞬間というのはとてもわかりやすいシンプルな例だったかもしれませんが、子供は親といる間にたくさんのことを「できるように」なっていきます。

 

例えば親に言われなくても   歯を磨いたり、お風呂に入ったり、着替えをしたりといった身だしなみから、次の日の準備をしたり、宿題をしたりできるようになることです。実は、私たち親が子供と過ごす時間の大半は、こうした「できるようになる」瞬間に満ち溢れています。

 

いま、自分のお子さんを見て考えてください。大人になったときそのお子さんは、自分でご飯を作ることができますか、洗濯を定期的にして服を片付け、身の回りをきれいにしておけるでしょうか。

 

自立というのは、面倒を見ている親が1つ1つのその面倒をかける事柄を、子供ができるように受け渡していくことなのです。急ぐ必要はまったくありませんが、放っておくと子供はあっという間に大きくなっていきます。

 

私は子育ての最中、基本的に18歳までに社会に出て一人で生きていくことができるようにと目標を立てています。

なぜかと言うと今、アメリカという地に住んでいますが、アメリカや他の欧米諸国では、18歳になると本当の意味で大人という扱いを社会から受けるからです。自分の身になにが起きても自分自身で解決できるという責任を伴っています。 

 

例えば、娘はもうすぐ19歳になりますが、18歳になった時点で彼女の許可なく親である私でさえ、彼女の病院での情報を得ることはできません。彼女は一人で病院に行き、医師と話、治療方針などについて判断を迫られるのです。もちろん家族ですから、相談してくることはありますが、私がリードすることはありません。こうした社会に生きているために、子供を18歳までにそういうことが判断できる、自分で医者にかかるか、どういう治療をするかというようなことを考えられる人間に育てなければいけません。

 

ある時、息子が「一生のお願い」というお願いごとをしてきました。子供によくある「一生のお願い」ですが、詰まるところ、自分自身が親に購入してもらったものを壊してしまい、自分自身でお小遣いで買い直したいという話でした。私は、その機会を逃すことなく「わかった。ならば、今日から、1週間に1回、決まった日でよいので自分の洗濯は自分でするようにしなさい」と約束を求めたところ、「そうする。」と即答だったのです。

 

親として大切なのは、そのあとのフォローアップ。

もちろん覚えるまで丁寧に洗濯の仕方は教えますし、洗濯ものが洗濯機に残りっぱなしの時は、その洗濯ものがあることで他の家族の人が迷惑を受けると、社会に迷惑をかけないというチャンスとしても教えます。このあたりの丁寧さは、とにかく親に大切なものです。最初は、かなり疑わしくさせた約束でしたが、数週間のうちに彼の生活パターンに組み込まれ、勝手に洗濯をするようになったのです。そして、そうして自分がするようになると、人がしている時の他人への気遣いも生まれ始めます。私達自身の洗濯を終え畳んでかごに入れたものをランドリールームに置いておけば、それに気付いて私達の寝室まで運んでくれることがあるのです。これには驚きで、子供だと思っていた彼が回りを見るようになってきたということにもびっくりしました。

 

これも息子の話ですが、アメリカに来て間もないころ、まだまだ英語を話す段階にもなかった彼と外食をすると、食べたいものをオーダーするのに四苦八苦していました。確かにそこで手伝ってあげて、親がオーダーすることは簡単で、私も最初は少しだけそうしてみましたが、考えれば考えるほど早くその手を放してあげることが親の本当の優しさだと思うようになったのです。

アメリカではじめてスクールバスに乗る瞬間や、宿題を忘れていく瞬間が、すべて成長のステップに見えてくるという感じでした。娘の例で言えば、娘が初めて幼稚園に通い始める時、母親も含めて回りはとても不安がっていて、私としては、その不安な様子が彼女に伝染して幼稚園を好きになれなかったら困ることになると、自分自身がどきどきしている大丈夫かという不安な気持ちは、とにかく彼女から隠して逆の態度をとったことをたのを覚えています。そして、初日に幼稚園に向かう車の中で、大袈裟なぐらいに幼稚園とはどれだけ楽しいのかという説明をした記憶があります。

 

ある時、娘が自分がどうしても参加したいバレエの夏のプログラムの申し込み期限を忘れて、期限が過ぎてしまったことがありました。そこで慌てふためくこともできましたが、私は親として、これが彼女の学びの機会なのだと言い聞かせ、結局その夏は希望とは違うプログラムに行かざるを得なくなったのです。もちろん希望と違うところに行くと決めた娘を全力でサポートしましたが、彼女が忘れたことに関してはいい勉強になったねという言葉以外、ほとんど声をかけませんでした。

 

そうした生活の中での一瞬一瞬が、子供が親の前で転ぶ瞬間なのかもしれません。

「転ばぬ先の杖」は子供の自立に対する裏切りである

「自立」という言葉には「立つ」という漢字が入っています。

当たり前のことですが、人は自分で立って自立していかなければなりません。赤ん坊が初めて立つ時、野生動物が立ち上がる時、なんども転んでは立つことを繰り返して立てるようになっていきます。

 

しかし、先程から例に出しているような親子の日々の中で失敗や経験の瞬間を、いい機会と捉えることがとても難しい時代になってきているように思うのです。そしてこれも当然のことですがですが大人になっても失敗はしますので子供時代というのは、むしろその練習期間でしょう。

人間は自立に向かって成長するのが普通ですが、知らないことは知らない、したことのないことはわからないというのは、大人になっても普通のことです。

 

しかし、だからこそやってみよう、自分の足で立ってみようというのが人間、動物の生きる本能だと思っています。できなかったこと、やったことのないことが出来るようになった時に人は自信を勝ち得ます。

日本で昔から言われる「転ばぬ先の杖」、その杖を敢えて突かないことこそ本当の優しさなのだと気付いていくことも、子育てを通して得られる親の学びの1つかもしれません。

 

いままで子育てをして、サッカーのコーチやバレエ団のボランティア、学校のPTA活動などもしてたくさんの子供と接してきましたが、私が見ていて苦しくて仕方ない瞬間は、明らかに親が「転ばぬ先の杖」を突いている瞬間なのです。そうした瞬間を見るたびに「ああ、なんてことを、機会喪失以外にない」と感じます。

アメリカという国では当たり前の考え方ですが、人間は産まれたときから親をはじめ周りの人たちから人格への尊重をもたれます。その人自身が成長することや経験することも人格形成のための大切な一部なのです。ですから、その人格の形成途中に手を加える行為は、人格を否定することにも繋がりかねません。

 

もし自分の子供が、明らかにあなたの目線から見て間違っている選択をしたら、親としてどう対処していますか。

「それは間違っている」と口にするのは簡単ですが、本当に子供がそれを理解するでしょうか。よく「子供は熱いものに触ったら熱いのだと感じない限り、何が熱いものなのかわからない」と言いますが、どんな場面においても命を危険にさらさない限り、経験の一部になっていく練習なのです。

 

私の息子が、犬の散歩で持ち歩いている犬の糞を入れるビニール袋が風に吹き飛ばされたので、そのまま放置したことがありました。放置する前、風に吹かれている時に「風で飛んでしまうから、しっかり持ちなさい」と注意することは、親としては簡単でした。しかし、敢えてそこにどう対処するのか彼を観察することで、一通り経験して彼の対処方法を見ることができるのです。彼は、それをあろうことか(笑)放置したので、そこから彼との会話を始めました。そうすることで、私は子育ての芯を見失うことなく、彼と会話できるわけです。まずそこで起きたことをすべておさらいします。飛んでしまったのはなぜなのか、飛んでいくビニール袋を見てどう思ったのか(自分が男なのでよくわかっていましたが、「ああ、飛んで行ってしまった、取にいくのは面倒臭い」と思うことが多いです)、その心はどこから出てきたのか、ビニール袋とは何を原料にできているか、自然と消滅しない理由はなにか、それがしていけないことになる社会への迷惑の理由は何なのか、など、私から彼への質問が止まりません。こんな会話を繰り返しているうちに、ビニール袋が自分の手から離れて放置された時の影響を根本から考えて、なぜ放置してはいけないかということを自分自身の心の中で考え始めるのです。

 

自分自身をどう律して、どう自分が社会の中で立っていくのか。

子育ての大きな目標である「自立」とは、先ずは親の冷静な判断があって機会喪失を避けること、そして機会創出を促すことがとても大きく関係していること。

それを親の我々が常に意識する必要があるのだと思います。

 

ですから、自分がしていることが「転ばぬ先の杖」をついていることなのか、機会を喪失させてしまっているのではないかと考えることが大切なのでしょう。もし、そうしたことが、周りの人に迷惑になることであれば、是非勇気を振り絞って「ご迷惑をおかけしてすみません、この子がいま自分の経験としてしている失敗なのでどうか温かく見守ってやってください」と言ってみてください。

 

今の日本の社会はこの言葉を許容できる状態でないときもあるかもしれませんが、親である皆さんがそうした言葉を発することで、私たちの子供たちが自身の子供を育てるころに、そうした自立のために思いやりのある社会になってくれると確信しています。

時間は無駄ではないことを理解し伝える

先ほどから、自立のための機会喪失ということをお話ししていますが、そう考えると子供が産まれてから大人になるまで(ここでは18歳ぐらいと仮定します)、18年間で今後の人生で出会う場面すべてに触れることは、到底難しいことに気付いた方もいらっしゃると思います。

 

私自身も、子育ての中で自立ということを考えると、どんなに色々な経験をさせても、将来その子供に起こり得るすべてのことに準備を整えることの難しさを痛感します。

ですから、経験できるものはできるだけ広い視野に立って経験させてあげたい。そういう思いもあり、いま18歳になった娘が、まだ小学校へ入る前、やりたいと言った習い事やアクティビティは、自分がさせてあげられる限りさせたように思います。

 

しかし、色々としていくうちに、いくつか自分には合わないという発見をしたり、練習することが苦に感じたりするものを娘自身が見つけ始めました。その時、幼少の彼女には厳しいことだったかもしれませんが、私は「人生の時間は限られているから、好きでないものはすぐにやめなさい」と言い続けました。

結果、好きではあったものの練習が苦になっていたピアノをやめ、楽しくても恐怖心が捨てられなかった体操をやめ、最後に自分が大好きな書道とバレエが残ったのが小学校の高学年の時でした。その2つのことが残って両立していた時、再度試練が訪れます。学年があがることでバレエのクラスが週4回から毎日へ変更になったのです。それでも彼女は、バレエの時間の合間を縫う書道のクラスへ変更して書道へ通っていましたが、数年後、いよいよバレエが忙しくなり(楽しんでいましたが)書道を諦めなければならなくなりました。

 

その時に私が伝えたのは「人生の時間は本当に限られているもので、好きなことの間で選択しなければならない場面はこれからもある。自分の魂の声、本能の声を聞いてあきらめたくないものを選択しなさい。やめたら後悔の大きいほうを選びなさい」というものだったと思います。

 

泣く泣く書道を諦めましたが、そのころ娘には、人生の時間を分刻みで換算すると、一秒一秒人は人生の終わりに向かっているのだから、一秒一秒を大切にするためにも自分がしたいと思うことに費やしていったらいいよという話もしていたと思います。

このコラムの執筆中に、娘は高校の卒業を迎えました。学業の成績もさることながら、その時選んだバレエを一週間を6日間こなし、この卒業を迎えていくつか合格した大学を選択せず、住んでいる街から遠く数千キロ離れた街のバレエ団で自分を試す決意をしました。その決意も、それほど簡単な決意ではなかったように見受けられますし、選択の瞬間はとても悩んでいました。

実際にいま、通り過ぎかけているところで親の目から見ると、バレエを真剣にやってきた仲間でさえ、数人は、バレエをやめて大学の道を選んだり、大学とバレエを両立できる道を選んでいるクラスメイトがいる中で、そういう他人と自分を比較することで苦しんでいたのだろうと思います。「正しい道とは一体何か?」、自立するということは仕事にするものを選ぶことだと強い思いがある一方、自分の選んだ道が正しいのかどうかを確認する術がなく、悩んでいたように思います。

 

正直、親としての私から見ても正解の選択はわかりません。もちろん、お金にならないよとか給料はこっちの道のほうが高いよというアドバイスは出来たかもしれませんが、私はそれを一切しませんでした。

親という目線から見れば、彼女が好きでもないもので稼ぎながら、楽しそうにしていない人生を送っている姿を見ることが嫌だったからです。彼女のこの先は誰にもわかりませんが、自分の好きを追求してそこで自立していこうとしている限り、彼女の自立に必要な試練や苦労は訪れるかもしれませんが、きっと好きなことで自立するという気持ちがある限り、その試練や苦労を楽しめることもあるのだと信じています。

 

次回は、感謝するとはどういうことかを、周りの人や先祖との関わりという観点から考えたいと思います。

いつも最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 

鷹松弘章

国際基準の「子育て」

①国際基準の「子育て」〜幸せとは〜

②国際基準の「子育て」〜好きなこと探し〜

③国際基準の「子育て」〜好きなことを探して、見つかったら〜

④国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜

⑤国際基準の「子育て」〜社会の迷惑を悪として捉え倫理観を育てる教育〜

⑥国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと、それは良いこと〜

⑦国際基準の「子育て」〜自分勝手で何が悪い。人は人、自分は自分〜

⑧国際基準の「子育て」〜お金とは何?という教育〜

⑨国際基準の「子育て」〜意味のあるお金の使い方の教育とケチ〜

⑩国際基準の「子育て」〜究極の目標子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜

⑪国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜

⑫国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜

⑬国際基準の「子育て」〜現実的なこと「同性愛、男子、ひとりっ子」〜

⑭国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て、そして最後に〜

1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。

※連載は週1度を予定しております

※内容は変更することがあります