国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜

 

このコラムの最初に日本の社会人や学生から、やりたいことが見つからないという悩みの相談が多いという話をしました。こうした悩みを抱えていろいろと考えているうちに、多くの人が陥るポイントがあります。

それは、「人はなぜ生きているのか」というポイントです。子育てをするとき、もし自分の子供から「人はなぜ生きているのか、どうして生きなければいけないのか?」という質問をされたら、親の我々は普通答えに困るでしょう。

子供が成長するにつれて、自分はなぜ生きていて、どうしてここに暮らしているのだろうという漠然とした疑問が湧きあがってくるのは、正常なことです。

 

しかし、説得力のある内容を与えることのできる親は、もしかしたら少ないのかもしれません。命は大切にしなければいけない、いただいた命なのだから、などと「こういうものなのだ」という強い説明ばかりが親からの言葉に多いのも事実です。でもそれで、本当に子供たちは納得するのでしょうか。論理的にほんとうにそうなのでしょうか。命をいただいているのは、間違いないでしょう。

しかし、苦しみの中にいる子供たちにこれだけを伝えても、欲しくて、   望んでもらったものではないという感情になるだけで、あまり助け舟にならない言葉でもあります。ではどういう考え方で子育ての中でこの部分を伝えていけば良いのでしょうか。

徳とはなにか

まず、「徳」という言葉が辞書にどう書いてあるのか見てみます。辞書を引くとこう書いてあります(出典・抜粋 小学館デジタル大辞泉)

 

とく【徳】の意味

1 精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。

2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。

3 富。財産。

 

この言葉は、なんとも掴みどころのない言葉です。そして、この言葉の意味を理解しようとすればするほど、人生を謳歌している人たちがこの境地に達していることに気づくことがあり、自分の理解も始まります。

お金の話のところで、私がお金は社会で循環するもの、気持ちや思いを運ぶものと書きました。

 

「徳」とは、お金と同じように、時には、お金と一緒に社会を循環するものと言うと少しイメージが湧きやすくなるでしょうか。

例えば、果樹農家の方が気持ちや思い、そして労力をかけて美味しい果物を作ったとします。その果物を世の中に渡そうとしたとき、それは自分がかけた力と環境からの恩恵を合わせて、世の中に送り出していきます。美味しい食べ物でその気持ちをわかってくれる消費者の人は、その果物を買いたいと思うからこそお金を支払います。徳を流すと、お金が流れてくるという例です。

もう一つの徳の例をあげるとするなら、お金のない徳の流れ方です。高校生の部活動で入学からある部活に入り、3年生の卒業を控えるまでの間に、後輩として色々と学び、先輩として後輩にものごとを伝える。ここにお金のやり取りはありませんが、つながれていく「徳」があり、先輩たちの努力や思いによって生徒たちの「成長」が「徳」として引き継がれていくわけです。

今生きている環境はどこから来たのか

今、我々が生きているこの世の中は、どう作られたのか。社会がどう形作られているのか。この部分を考えると「徳」の意味がより一層わかってきます。

先ほどの辞書からの意味の中に「富、財産」という言葉があります。今、私たちが生きている街、道路や建物はいつどこで誰が作ったのでしょうか。自分が外出する時に、整備された道路があって、ぬかるんだ道やほこりだらけの道をあるかなくて済むよう、舗装してくれたのは誰なのでしょう。自分が受けた恩恵、その財産はどこからやってきたのでしょうか。

お金の話でも書きましたが、お金や財産を持って死ぬことはできません。では、今我々が持っているお金、これから稼ぐお金とはどこから来るのでしょう。

 

子育てをしている時に、こうした疑問に答えていくことで親も子供も一緒に成長できる機会がそこにあります。
例えば、旅行中に新幹線に乗っていて、子供に「この新幹線は、いつ誰が作ったのだろうね?」と話しかけてみてください。外出中に「この橋は、いったい誰がどういう気持ちでここに橋を作ろうと思ったのだろうね?」と質問してみてください。こうした質問は、子供の思考力を徳や有難みという観点から育んでくれます。
親子でこのことを考えることは、とても大切なことです。なぜなら、今私達が過ごしているこの社会は、どの国にどの街に住んでいようと、通常、私たちよりももっと前にこの地に生きていた人たちが、色々な思いや考えがあって、後世の私たちに形として残してくれているもので、その思いを持った人たちは、おそらく多くの人がすでに亡くなっています。
しかし、そうした思いを「徳」として残してくれたのです。子供がこのことを考え始めたとき、社会人になってこうしたことに気付いた時、徐々に「その中の自分の役目とは何なのだろう」と疑問を持つことにつながります。これは、押し付けられた責任感とは違います。自分が生まれてから使っているすべてのもの、受けているサービス、優しさや気持ち、親や親戚から受けるやさしさは、すべて受け継がれたものです。
こうした視点を子供たちが持つような会話を、普段の会話の中にちりばめる。
そうすることが、自分が社会の一員であって「徳」の循環の中に身を置いていることを少しずつ認識していく作業になりますし、いつしか「なぜ生きているのか」という疑問そのものを持たなくなります。これこそが人間が一生懸命、幸せに生きていく入口なのです。

徳の循環の方向

先ほどから、徳の循環を世代間の例をとって話をしていますが、これは今、自分たちの回りで、同じ時代を生きている人たちにも同じことが言えます。いわば、それは循環の方向という概念では、世代間は縦方向・同世代の中では横方向と表現できるでしょうか。

 

この徳の循環の方向を子供たちが理解していくと、このコラムで書いている「社会への迷惑をかけない」という言葉が横と縦につながることのにも気付いて、今自分の周りにいる社会の人たちへの迷惑をかけない、そして自分の子孫に迷惑をかけない、自分の先祖・子孫へ顔向けできないような行いをしないなどの、強い倫理観へとつながっていくのだと思います。

 

生きることへの責任感というのは、こうしたところから生まれた時、とても強い意志になって生きる力を支えているようです。

一方的に「命は大切だから」という義務感で育てられた子供と、「自分はリレーのバトンを渡されたから精一杯生きる」という責任感で育てられた子供には、大人になっていく過程で見出すものに大きな差が出ます。

 

現代の日本で引き籠りや、鬱病が多くなって、閉塞感が強まっているのもこの辺りに原因がありそうです。というのも、私の立場上、自分の意志で日本を出て海外に出ている日本人の大人と会うことがとても多いのですが、彼らに共通しているのは、人生を楽しむと同時に「自分の出来ることを精一杯したい」という強い責任感とやる気なのです。

 

日本の室町時代や江戸時代には、子供に対してそれぞれ「役目」を考えて見つけるという教育でした。昭和の時代、私の子供のころも「道徳」の時間というのは、人間の進む「道」と人間が受け渡す「徳」という観点の教育が徹底していたように思います。人にやさしくするという道を進んでどう誰に徳を受け渡すのか、などのような内容です。

 

現在の私たち親は、果たしてそうした概念に立って子供の教育をしているでしょうか。

自身の子供の社会での役目という視点から、子育てをして子供と会話をしたことがあるでしょうか。日本の過去、戦前や江戸時代などに遡ると日本には、こうした役目を考えさせる教育が徹底したことがわかります。ほとんどの先進国では高校か大学で哲学を必須としています。今の日本では大学生で選択科目にわずかに残っているだけです。

 

自分の役目を果たすことは、自分が徳の循環のどこにいて、何を受け取り何を受け渡すか。縦にも横にも意識しながら生きていくことで、協力的であったり、迷惑の本質を考えたり、助け合いの気持ちを持ったりする倫理観の根っこを作ると私は思うのです。そしてそこに道徳観や哲学的な価値観が大切になってくるのです。

 

子供の教育の中で、是非、この「徳の循環」ということを軸に色々と考えてみてください。

子育てで悩んでいる時には、大抵の場合、この根っこから必ず芽が出てきます。

家族でできる世代循環の意識

それぞれの家庭で、信仰があることが多いでしょうが、無宗教である場合もあるかもしれません。しかし、無宗教であること、またはあまり信仰を重んじない家庭にすることで、祖先と後世の家族への想いに触れる機会がほとんどない家庭になっていませんか?

実はこうした感覚が、今の日本の子供達の幸せになったり生きていくやる気を失わせてしまっている大きな理由の一つになっている可能性があるのです。

 

このルールの中で繰り返し出てくる「循環」の方向は、縦方向、言わば私たちが両親や祖父母から引き継ぎ、子、孫へ引き継いで行くものでもあります。私の友人や知人には親の顔を知らない人も多くいます。そして私たちの年齢になると既に親が先立っている人も多いでしょう。そうした人たちがいたからこそ、今私たちは親になり、子供を授かり、子育てという世界一の癒しをいただいているのです。

そして、更に想像してみてください。自分の子供が子供を迎えたとき、それは我々の孫ですね。よく日本の言い回しに「孫の顔を見るまでは死ねない」などという言い方がありますが、子供が結婚したり家庭を持つと孫の顔を見たくなるのは必然なのでしょう。そして、実は孫の顔を見たとき、自分の循環の責任範囲の行き先を見つけた気持ちになれるのかもしれません。

 

こうしたことを考えると、子育てをしている中で親と子で自分たちの家族の前の世代、そして後の世代に思いを馳せることは、子供達が大人になっていく過程の中で縦方向の徳の流れを意識し始めることに繋がります。

 

私は娘や息子が無責任な行動をとった時、12、3歳になった頃から諭し方のひとつに「数百年前まで人間は12、3歳には親になる歳だった。もし今、自分が人の子の親だとしたら今回のことは自分の子供から見たらどう見えると思うか?」という方法を少しずつ取り入れました。これには生意気な10代の子供達も、かなり複雑な顔になります。そして少しずつ自分が社会に出ると同時に親になる準備を自ずとし始めているように見えます。

 

また、私の場合は実家から引き継いでお寺にお世話になる仏教徒なので、日本への一時帰国の時は、子供達と墓参りをして、短い時間ですが私の父や祖父母の話を家族でするようにしています。また、可能な限り、お寺にも挨拶をしてご僧侶と近況などの話をします。

 

今の世代の宗教家の方たちは驚くほど現代的で、私が昭和の時代に感じたイメージとは程遠く、携帯の話でもインターネットの話でも一緒に話すことができ驚くほど今の子供達ともたくさん会話の中で繋がりを見つけていただけます。

一時帰国の中でもこの部分に関して割く時間は、数時間程度ですが、それでも子供達はルーツを感じ、祖先を感じている、そして何より親たちがそうして前の世代の人たちを大切に扱っていることを背中を見て感じているようです。私は少し意地悪な質問をすることがあるのですが、そうした機会に「私たち(彼らにとっては親の我々)がこの世から旅立った後に、ふたりは少しぐらい顔を見せてくれるのかな?」などと呟いてしまいます。その呟きは、少しづつ子供達の心に届いているようです。

 

何も宗教を信じて信仰を持って、皆が教会や寺院、神社などに通わなければいけないということではありません。

しかし、先祖がいて、子孫がいるからこそ自分たちの命のリレーが繋がれているのだということを、親が子供にみせて教えるというのは、徳の循環を理解して幸せに生きていく人生を送るためには大変重要なことなのです。もちろん、もし家庭に信仰心が多くあり宗教をお持ちの方は、ぜひその姿を子供達にしっかりとみせてあげてください。

 

最後になぜ哲学的な宗教観が重要かという、ひとつの大きな例を私がお世話になっているお寺のお話で紹介します。

 

「数年前に亡くなったこの方が、今ここに残っている家族の中でどう生きているか。それは皆、既に知っていますね。我々が進むべき道に迷ったり悩んだり、または誰かの意見を聞きたくなった場面になった時、この亡くなった方、お父さんならお父さん、お母さんならお母さんが何と言うか想像できるはずです。この人ならきっとこう言ってくれただろう、と想像がつくのは、その方が心の中に生きている証拠です。(そしてここからはその場にいた子供達に向かって)お父さんとお母さんとお話ししてるかな?いつかお父さん、お母さんがいなくなった時、君たちの心の中にいるこの人たちに聞いてみて答えてくれるかどうか、お母さんならこう言う、お父さんならこう言う、お爺ちゃんなら、お婆ちゃんならこう言うだろう、と想像できるようになるまでお話ししたり一緒に時間を過ごすことが、本当の親孝行なの」

この言葉は、とても単純ですっきりと親から子、子から孫へどのような関係を持つことが生きるための指針になるかということを説明してくれています。日本で育っている私の甥や姪、そして私の子供達にもとても響いたように映ったひとことでした。

 

次回は、親の幸せがどう子育てに影響するかを考えたいと思います。

いつも最後までお付き合いありがとうございます。

 

鷹松弘章

国際基準の「子育て」

①国際基準の「子育て」〜幸せとは〜

②国際基準の「子育て」〜好きなこと探し〜

③国際基準の「子育て」〜好きなことを探して、見つかったら〜

④国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜

⑤国際基準の「子育て」〜社会の迷惑を悪として捉え倫理観を育てる教育〜

⑥国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと、それは良いこと〜

⑦国際基準の「子育て」〜自分勝手で何が悪い。人は人、自分は自分〜

⑧国際基準の「子育て」〜お金とは何?という教育〜

⑨国際基準の「子育て」〜意味のあるお金の使い方の教育とケチ〜

⑩国際基準の「子育て」〜究極の目標子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜

⑪国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜

⑫国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜

⑬国際基準の「子育て」〜現実的なこと「同性愛、男子、ひとりっ子」〜

⑭国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て、そして最後に〜

1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。

※連載は週1度を予定しております

※内容は変更することがあります

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