国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜

 

子供にとって親というのは手本でしょうか。子供にとって親というのは、信じるべきものでしょうか。

この2つの質問に対する答えはとても簡単で、どちらも真でしょう。ここに反対する人もいないかもしれません。しかし、私たち親というのは、最初に子供を授かった時に親になった訳で、言わば自然と親になってしまったという方が正しいでしょう。もちろんいつか親になるのだろうという漠然とした気持ちで生きてきた人がほとんどでしょうが、その日が突然にやってくることも珍しくありません。

 

心の準備もできていなければ、練習さえしたこともありません。では、何を持って「手本」と呼び、どのようにそれを子供に見せれば良いのでしょうか。そして親を信じ切って生まれてくる子供達に、どう向き合ったら良いのでしょう。

幸せな親にしか幸せな子供は育てられない

この小見出しの題名を見て、ドキッとされた方はいませんか。

私自身も、6、7年前はこの題名を読んだらドキッとしていたと思います。夫婦関係もよくなく、自分が仕事と子供との時間以外に幸せでない隙間があることに気付いていたからだと思います。

 

誰もが大人になる過程で、幸せそうな人と幸せそうでない人を見てきたと思います。そして大人になった今も、周りを見回すと幸せそうな人もそうでない人も見つける事ができます。でも、楽しそうに、幸せそうに過ごしている人の近くにいるとこちらまで少しウキウキすることはありませんか。

それに自分の気持ちがあまり充実していない時に充実した人に出会うと、羨ましくなると同時にちょっと頑張ってみようかなという気持ちになりませんか。逆に、とても深刻な問題を抱えていたり、思いも寄らない不幸が身に降りかかった知り合いや友人、そしてそのことに関してとても悲観的になっている人のそばにいるとき、自分も暗い気持ちになったりしませんか。

こうした現象は人間や動物としては当たり前なことだと思います。そして私たちの子供も同じような気持ちになるのです。

 

私が離婚のどん底にいた時や、当時勤めていた会社で数々の社員をレイオフをしなければいけなかった場面を思い返すと、まだ若い私はそのマイナスな要素を自分の態度や感情の端々に現していたように思います。

 

すると不思議なことにどんどん状況は悪化していき、悪いことは雪だるま式に大きく膨れ上がっていきました。そして数年後に再婚して幸せな状況や自分が思いっきり楽しくしている時は、良いことの雪だるまが大きくなっていくのです。もちろん人生は山あり谷ありなので良いことも悪いことも起きて人生なのでしょうが、どうしてこうも纏まって良い時は良いこと、悪い時は悪いことが起きるのでしょう。

 

今、インターネットも携帯電話も普及して大人の間にもソーシャルネットワーク(SNS)が溢れています。そんな中、みなさん前向きな投稿と後ろ向きな投稿を目にすることがあると思います。

人の投稿とは大きく分けると、楽しいかそうでないかという2つに分けられると思います。それに応じて、人の反応も違いますよね。SNSというのは、人間の関係性と反応を恐ろしいほど早く感じさせてしまうツールになりつつあります。楽しい人のSNSには楽しい人が集まり、そうでない人の所には集まらない、または集まっても同じように後ろ向きなことや不満を言いたい人が集まる。

 

こうしたインターネットの世界は、実は今までの人と人との関係をもっと目で見やすくしてしまった側面があるのです。どういうことかと言えば、インターネットや携帯の普及よりももっと前から、いつも楽しいこと、苦しいことも楽しいことに変えてしまうような人の周りには同じような人やそうなりたいと思って前向きな人が集まっていたのです。

 

日本の言い回しに「似た者同士、同じ穴の狢、類友」などのような言葉があるように(外国にも同じような表現があります)、人間というのはそれぞれの性質が同じような性質を惹きつけるという自然な本能を持っているのです。これは動物でいえば同じ種が群れを作ったり、その群れがうまくいかなくなって分裂したりすることと似ています。

 

将来、子供にどういう形で生きて欲しいかと思えば、もちろん楽しい仲間と楽しく過ごしてほしい。でも家庭という社会の最小単位の中で幸せな状態を見せてもらえない、学ぶことができないのであれば、その子供はきっと将来、何が幸せかをわからないまま、そうでない人たちに囲まれて生活していくことになりかねません。

親の幸せ、夫婦仲が子供におよぼすもの

このコラムを読んでいるお父さん、お母さん、ご自分は夫婦として父母として幸せですか? 母子家庭や父子家庭の場合であっても、ご自分自身の幸せを感じていますか? この質問で何か感じてしまう方がいらっしゃったら、どうかこの質問から逃げないでください。それも子供のためにも。

 

先ほど言ったように、幸せでない人間には他人を幸せにできません。それが更に家族であったなら致命的な問題と言わざるを得ないでしょう。自分自身の夫婦としての愛情や幸福、充実感で自分の生き方は大きく変わってしまいます。それは誰でもわかっていることでしょう。

夫婦仲があまりよくない、または結婚生活が長すぎて慣れてしまってよくわからないということもあるでしょう。では、この質問はどうでしょうか。

お子さんが皆、家庭を離れ独立していったあと、夫婦でいて、またはご自身だけで生きていく幸せは想像がついていますか?

 

このコラムの冒頭で言ったように、子育ての根本、一番の目標は子供が巣立って自立していくことです。ということは、自分の家庭から子供はいなくなる時が来ることは決まっているわけですね。その場合、夫婦、または一人親なら一人で、子供がいなくなった後を想像しなければなりません。

もし想像が付かない自分がいるのであれば、親自身が人生を積極的に歩んでいないということになります。想像してみてください。そういう親を見ながら子供はどう育っていくのでしょう。もっと言うと、私たちが結婚する時、お手本にできるのは誰でしょうか。自分の親が一番近い存在で、その次に祖父母や親戚ではないでしょうか。家族・親族というのは、子供たちに家庭や夫婦の幸せの形を見せる役割を担っています。

 

子供のやりたいこと、したいことを応援するという話がありましたが、その応援は親にとっては癒しであったり幸せであったりします。これは、実はどちらの方向にも言えることです。

親が何かに熱中して夢中になっている家庭の子供は、その親を(年代的に呆れていることがあったとしても)心の中で応援して彼らは親に満たされている、癒されているのです。親がやりたいことは、趣味であったり仕事であったりしますが、ご自分のしたいことに熱中している時、少し子供の様子や顔を観察してみてはどうでしょう。

 

きっと、親から勇気をもらって自分も熱中することを見つけていくでしょうし、熱中の仕方を親から学んでいくはずです。私の母には、友人が多くいます。それは私が子供のころからそうでした。そういう親を見て友人を多く持つこと、友人との付き合いで大切なことという部分をとても多く学びました。友達に囲まれるという大人の社会での幸せな形を想像しやすかったのだと思います。

 

私の祖父母は、明治・大正生まれの2人でしたが、それはもう多くの趣味を持っていました。山登りから花の鑑賞、書道に藤の家具作り、数えたらきりがありませんが、子供が6人もいた親には見えなかったのです。私自身は、そうして大人が趣味に没頭したり、好きなことを見つけることを間近で見ていて、そういうものなのだと自然に感じていたように思います。

 

先ほど、家庭で夫婦の幸せの形を見せる役割という話をしましたが、以前、私の心の中には「子供のために」父母が仲良く(少なくともそう見えるよう)暮らしていなければいけないと思っていましたし、「離婚=悪」ぐらいの感覚がありました。色々な理由、特に結婚当初に世話になった人や親族などへの気遣いで離婚など考えたくもなかったのです。

 

しかし、ある時こんなことがありました。私の友人であり仕事仲間の日本人が離婚家庭に育った人で、彼に子供から見た離婚とはどういうものなのか、と思い切って聞いてみたのです。彼の返事はとてもストレートで「仲の悪いことがわかっている親が一緒に暮らしているところにいた自分より、別れてくれた親を見た時のほうが気持ちが楽だった」。

 

この言葉は当時の私には衝撃的で、その後数人の離婚家庭の友人に同じように聞きまわったのですが、感じ方がそれぞれ違ってもそのまま仲の悪い父母と一緒に暮らすのは苦しいというのが概ねの答えでした。仲の良くない夫婦が一緒にいることは苦しいことですが、想像以上に子供も苦しんでいるのですね。

 

そして、友人たちと話していて一つ解ったことは、皆、子供であった当時は何が正しくて何が自分にとって良いのか想像が付きづらかったというところです。それもそうです。どの子供にだって、最初の親の離婚は離婚後など想像もつかず、想像のつかない将来は不安でしかありません。見たことも体験したこともないものを怖がるのは当たり前ですが、その離婚後が不幸であるということは決まっていないのです。

 

そして彼らが共通して教えてくれたのは、自分が大人になっていく過程で離婚が最悪の選択肢ではなかったとわかるようになった、ということなのです。

私は、この言葉を大切にしました。体験した人たちの言葉ですからね。そして、自分の子供も同じような境遇になれるのであれば、今の不幸な状態を子供に見せ続けることが良くないことである、その先の子供の幸せを考えたらきっとわかってくれるであろうという思いもありました。

 

もしこのコラムの読者の方々で、私は夫婦仲がとても良い、という方がいればそれは子育ての大きな部分の責任をきちんと果たしていることになります。素晴らしいことで良かったですね。

また、私や私の配偶者にはそれぞれ熱中する趣味があって、その熱中の時間の隙間を使って子育てをしていますという方がいれば、それは相当に大きな子育ての責任を果たしていることになるのです。更に素晴らしいことです。いままで自分の幸せと子育ての関係について、そう考えたことはありますか?

 

どちらかというと、現代の親(特に日本人の親)は、子育ての隙間に好きなことをしたいが、子育てが忙しくてそれころではない、という言葉が聞こえてきそうです。自分が我慢すればそれで済むと。

そうして、親自身が幸せでいること、夫婦が幸せでいることを疎かにする理由を作っていませんか? それは結局は自分の子供にとって本当に大切なものを置き去りにしていることに他ならないのです。

親の幸せと子供への愛情をすりかえてはいけない

子育ての忙しい時期だから、自分のことを我慢する。それは、少々犠牲になる部分も、もちろんあるでしょう。でも、自分のことを犠牲にすることを続けていると、親は幸せには向かっていきません。そして結果的に子供も幸せでなくなってしまうのです。

 

日本の美徳である「我慢」とは、いつしか「自己犠牲」とすり替えられた部分があるように思います。「幸福」と一緒で「我慢」というのは他人や社会のためにするものであって、本人のためではありません。自己犠牲を繰り返していると自分たちが生きている意味さえなくなってしまいます。

 

子育ての忙しく厳しい状況になってくると、親は往々にして子供の成長や子供のために犠牲にしている自分を幸せの形と勘違いしていくことがあります。それは私に言わせると子供を言い訳に、自分を面倒みることを面倒臭がった自分への言い訳でしかありません。

 

この状況が酷くなっていくと、親はどういう道を辿るでしょうか。色々な不幸な形が作られていきますが、私が一番不幸だと思うのは、子育てや子供との関わりが自分の幸せの中心になり、いつしかそれだけになってしまうケースです。

何度も言いますが、子供を自立させて飛び立たせるのが、親の役目。

本当の癒しは子供が自立した時に完結するにも関わらず、いつしか子供と共に生きていくと決心してしまったような親子関係になっていることを目にします。そうした親に出会うと、私がいつも感じるのは子供以外に熱中できることがないのだという点。

 

そして、更にその子供がとても不憫になります。子供は、親を幸せにするというとても大きな責任を知らないうちに背負わされてしまうのです。こうなってしまうと、もう子供の幸せを願っている親の状態とはとても言えませんよね。親が子供に愛情を持つのは当たり前のことでしょう。

 

でも、その愛情が子供への過剰な関わりや保護であったり、道を作ってしまうようなものであれば、こうした親になるのは無責任と言わざるを得ません。何故かというと、自然の摂理では親は子よりも先にこの世を去ります。しかし、自分がいなければ生きていくことの出来ないような子供を育てていては、自分の死後に対してそして子孫に対してとても無責任なことをしていることになります。

 

ですから、子供に幸せにしてもらおうなどと、親は絶対に思ってはいけません。幸せはすべての人間が自分で作り勝ち取るもの。誰かに頼って幸せになることはありませんし、それが自分の子供を対象にしてしまっては、子供も不幸ですし成長機会をどんどん奪われて自立の道を遠ざけられてしまいます。

引き籠りは親が作る

日本では、いま30代や40代であっても引き籠りになる大人が増えていますが、社会への順応が難しい、社会の中での自分の役割を見つける方法がわからないことから引き籠るケースがとても多いようです。

結局は、「自立」という目的を見失った子育ての結果でしょう。

いや、待ってください、うちの子供は学校のせいで、先生のせいで、友達のせいで、病気を患ったせいで引き籠るようになったのです。親の子育てのせいではありません、という理由を言う方もいるはずです。2次的な理由は、恐らくそうなのでしょう。でも、そういった影響を受けて引き篭ることになった子供にしたのは、他ならぬ親の育てかたです。

昭和以前には、日本の子育ては「しなやかな子供に育てる」という言葉がよく使われていたようです。「しなやか」とはどういうことなのか。簡単に言えば対応力・適応力のあると言うことです。しなやかな人間になるには、色々な体験が必要です。

 

私自身も小学生時代に、担任の先生やクラスメイトにイジメにあった経験があります。身長が低いことが病気だといわれたこともあります。イジメにあって、学校へ行く気が無くなった私が数日間引き籠ったとき、母に「勝手にしなさい、まぁ、こんなことで凹んでたら大人になった時もっと大変だけどね」と言われた記憶があります。

その言葉が頭から離れず、色々と考えた挙句、学校へ戻りましたし、私をイジメていたクラスメイトとも後に親友になりました。クラスのイジメの音頭を取っていたのは当時の担任の先生でした。かなりの年齢になるまで私はその先生の事を好きになれませんでしたし、今でも好きではありません。

でも、この経験と記憶が出来たことに関しては、心からあの担任の先生の存在に感謝しているのです。貴重な経験をさせてもらったという意味で。だからこそイジメられる人の気持ちも本当の意味で理解できるようになったのですから。

 

私の妻は、リウマチから来る関節の破壊に悩んでいます。彼女と再会した時、心の広さに驚いた記憶があります。実は、大学時代の同級生だった彼女は、学生時代の私にはそんなに心の広い人に映っていなかったのです。ところが病気を患ったことで様々な事を経験し、周りの人の有り難さや、逆に冷たさなども感じて今の妻がいるのだということがわかります。

 

結局は、困難なことが身に起こっても、それが経験としてこれから自分が生きていく糧になるかどうかは、その人の受け取り方によるわけです。しかし、子供の場合には絶対的な経験不足により大人よりも未知なことが多いわけですから、一つ一つに敏感に反応します。その反応を親がどう捉えるか、そこが子供の反応に影響していく訳です。

ご自身の子供がイジメにあったり、仲間外れにされた時、「その立場になれて良かったね。優しい人間になれるチャンスをもらったね」と心から言う勇気が親の私たちにあるかどうかは、とても大切なことなのだと思います。

 

このコラムの執筆中のニュースで、ニューヨーク州に住む両親が連名で同居していた30歳の息子に対して、家賃を払うこと、家から出て自立することを命令して欲しいという内容で訴訟を起こすという事がありました。現状を見る限り30歳で実家に住んでいる訳ですから、子供が悪いというよりも子育てにうまく行かなかった部分があったのだろうと想像されます。しかし、このアメリカらしいニュースを見ていても、30歳でも遅くはない、社会の厳しさを教えなければならないという親の責任感も垣間見ることができます。(この訴えの直後、一次的な裁判官命令としてこの子供は家賃の支払いと、家を出ることが言い渡されました)

 

本当に子供の未来を案ずる親ならば、親の手や助けがなくても生きて行くことのできる、出来れば幸せに生きる道を自ら見つけ、作ることのできる子供に育てたいと思うのが当然だと思います。

イジメられたり、引き籠ったりする子供を守ってあげるようなことは、親の責任とは遠くかけ離れているということを本当に理解する必要があるでしょう。

親の幸せを諦めないで

親自身のしたいこと、幸せを我慢してまでの子育てなどないということを先ほど言いました。これは本当に読者の親の皆さんにお伝えしたいことなのです。子供を幸せにするための子育ての方法をこのコラムで書いてきましたが、最初に書いた「幸福追求権」という憲法にある権利は、私たち親にも当てはまっていることを忘れないでください。

幸福でない親が幸福になる子供を育てることなどできない

これは恐らく不変の事実でしょう。ですから、今日からでも自分が幸せになることをひとつずつしてみてください。今まで子供のためと我慢していた自分と正面から向き合ってください。

 

それがもし子供のためになっていなかったらどうしますか? 少し自分が幸せに向かう行動をした時の子供の反応をよく観察してください。もし年頃の子供に「全く、勝手なことして」と言われたら、是非「私の幸せを勝手にやって何が悪いの?」と聞き返してあげてください。きっと子供はハッとするでしょう。そしていつか尊敬という形で返ってきますし、恐らくその子供が親の立場になった時、きっと理解してくれるはずです。

 

子供のために色々なことを我慢してきた親の皆さんがこのコラムを読まれていると思います。そうしたことが出来た方達は本当に凄い人ですし、尊敬に値します。

でも、子供がその姿を見て、親になった時同じ我慢をして欲しいと願っていますか?そのご自分を手本にして欲しいと本当に思っていますか?

 

私はそんな親はいないと思います。そして親の幸せというとても重い荷物を背負わされた子供の未来を考えてみてください。現代の日本の親が「私の老後はあなたにお願いした」とか「今までどれだけあなたのために我慢してきたと思っているのか」などという言葉を浴びせることが多いようで、年頃になった学生などからこうした言葉を言われたと聞くと悲しくなります。

 

彼らの自由な未来は彼らのもので、子供は親の所有物ではありません。楽しく幸せな人生を過ごし、親になった時子供にも幸福を分け与えられる、そんな人間に成長した子供を想像したいと思いませんか?

 

次回からは、現実的な問題に応じた育て方を考えてみます。いつも最後までお付き合いありがとうございます。

 

鷹松弘章

国際基準の「子育て」

①国際基準の「子育て」〜幸せとは〜

②国際基準の「子育て」〜好きなこと探し〜

③国際基準の「子育て」〜好きなことを探して、見つかったら〜

④国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜

⑤国際基準の「子育て」〜社会の迷惑を悪として捉え倫理観を育てる教育〜

⑥国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと、それは良いこと〜

⑦国際基準の「子育て」〜自分勝手で何が悪い。人は人、自分は自分〜

⑧国際基準の「子育て」〜お金とは何?という教育〜

⑨国際基準の「子育て」〜意味のあるお金の使い方の教育とケチ〜

⑩国際基準の「子育て」〜究極の目標子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜

⑪国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜

⑫国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜

⑬国際基準の「子育て」〜現実的なこと「同性愛、男子、ひとりっ子」〜

⑭国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て、そして最後に〜

1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。

※連載は週1度を予定しております

※内容は変更することがあります