国際基準の「子育て」〜障碍・鬱・年代別の子育て〜前編

 

このコラムを読んでいただいて、ご自分の状況とは少し違う、そうは言ってもすでにうちの子供は10代後半だからとか、もう20代になっているからなどと思われた方がいらっしゃるかもしれません。

さらにもっと早く読んで率直にこうした子育てに集中できたらよかったと、少し後悔されている方もいるかもしれません。でも私はそういうことについても楽観的です。

親も人の子で、最初からしっかりとした親になれる人などいなくて、私たち親は皆、試行錯誤を繰り返しながら子育てをしています。この文章を読まれている親御さんは、少なからず子育てへの問題意識があったからこそこのコラムに手を伸ばされたのだと思いますが、何をするにも遅いという事はありません。

自分たちが人生を終えるまで子供達との関係は続くわけですし、子供が大人に成長しても、自分が親で彼らが子供であるという立場は変わらないのですから、年齢や状況に関係なく、ぜひ、今日から子供とともにものの見方を見つめてみてください。

ここでは、少しみなさんがお持ちかもしれない状況を取り上げてみようと思います。

障碍を持っていると言われた子供の未来に障害などあるのか?

このコラムの前半でも書きましたが、個性と障碍(*1)というのは表裏一体であるというのが、世界的な価値観であることを理解して欲しいと思います。皆さんの中には、様々な障碍を抱えているお子さんをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、それを障碍と思って親がケアしてしまうのか、もしくはその個性はユニークなものなのだと胸を張るのか、そこは私たち親次第だと思うのです。私自身も、集中力が無い、話を理解していない、といつも通知表に書かれ、先生によっては障碍を持っているのでは?などと言葉にする人もいました。

現代に私が生まれていたら、きっとADHD(注意欠如・多動症)だと診断されて障碍を持っていると言われていたに違いありません。私の息子も、性質は違っても同じような状況を見出すことがあります。だからといって、障碍があるからと片付けるのは、とても雑な社会的対応で、その人が一体その裏にどういう能力を持っているのかということに注意するのが、一番近くにいる親の使命だと思うのです。

例えば、私の息子の例でいえば、同じことを何度も質問してみたり、注意力がなかったり、落ち着きがなかったり、順序立ててものを考えることをしなかったりと、私の子供のころと同じよう感じです。

でも、しっかり観察してみると自分の好きなことをしているときには、この状態が全く現れないのです。ということは、自分の関心が無いことに対してだけ、注意力を損なったり、落ち着きがなくなったりするのだということがわかります。

私自身が子供だった時も、多動性をきっと周りは嫌がっていたように思います。でも、今の仕事では目まぐるしいスピードで色々なことが起き、複数のプロジェクトや優先度の高い仕事を一度にこなさなければいけない場面の連続です。それを順序立てて次々にこなしている自分に対して、周りの人はその量の仕事をどうしてそのスピードで一度にやれるのか?と賞賛しつつも不思議がっている人がいます。

私にしてみれば、幼少の頃と何の変わりもなく、同じようにしている、子供の頃はまだ順序をしっかり考えられなくて失敗することも多かったとはいえ、そのトレーニングが出来ていたから今の自分があるぐらいにしか思っていません。不思議と子供の頃に嫌がられた私自身の「個性」が今や人に良い意味で不思議がられる「特性」へと成長しているのです。

ですから、お子さんの障碍と思われる部分が判明した(させられた)としても、それを親がどう捉えて応援するか、そこからの個性や良さを生むにはどうしたらよいかしっかりと観察してください。ポジティブ(プラス思考)で良さを見出せば、必ず大人になっていく過程で良さを強みにしてくれると思います。

このコラムは日本の方が読む想定ですので、こうした話が「日本の社会で受け入れられない」と言われてしまうかもしれないことは、承知しています。

でも、もし私が読者の皆さんと対面して直接お話させていただくとすれば、恐らく私は「自分の子供、自分の家族のことだから、社会的にどうかなど気にせず、勝手にやってしまいましょう」と答えると思います。日本社会の何か人に「名札」を付けることで、順応していない、一般的に「普通」でないことをあからさまにする文化は、私はとても心の狭い文化だと思っています。ご自分の子供・家族の幸せはご自分のものですから、社会にどう受け取られていようが、自分たちの幸せを一番に考えていきましょう。

*1:障碍=正常な進行や活動の妨げとなるもの

鬱に陥るのはなぜか

日本人の中で増えている「鬱」についてです。私の感覚ですが、私の世代の少し上の世代の日本人や、今の若い人たちに「鬱」が多くなっているように思います。私の周りにも深刻な鬱を抱えた人が多くいますし、今でもたくさん出会います。私自身も「鬱」に陥るのではという数年間がありました。もしかしたら、その時「鬱」だったのかもしれません。
私なりに鬱について多くのことを考え、観察した結論ですが、鬱になる過程というのは、家族も含めた社会の中の他人の目のを気にし過ぎるというような影響を受けて陥ることが多く、もっといえば、成長過程で受ける影響と密接に関係しています。

親の皆さんは少なからずおわかりかと思いますが、例えば、親が不安になっていると子供に不安が伝染することがあります。子供が幼稚園に初めて入る時、就職して新卒で会社に入る時、初めてスイミングを習いにいく時、色々な成長過程の場面で私たち親は「しっかりやっていけるだろうか」というような不安に駆られることがあります。子育てというのはそうした不安の連続と言っても過言では無いと思うのです。

でも、その不安を少しでも外に出してしまった時、子供達はどう反応していますか?

このように、もし鬱が自分への自信喪失であったり、他人と接触することへの恐れであるとするならば、間違いなく、それは教育していく最初の環境、家族や家庭に鬱の根源があると思えてなりません。

このコラムの冒頭に書いたように、成長する過程で「幸せになる権利は自分勝手で良い」と言うことを少しでも忘れてしまうと、鬱への道を歩んでしまいます。私自信も大人になってからの経験でそうでした。

ですから、親である皆さんには、今からでも社会にいる人たちが自分をどう見ているかなど、本当に気にせず、好きなように生きればいい。でも人と関わらずには人間は生きることができないから、無理のない範囲で少しずつ、自分の心地良い人だけと付き合って生きて行けば良い、という生き方をサポートしてあげて欲しいと思います。

他人からどう見えるか、そして何より親が社会から自分の子供をどう見て欲しいか、ということを少しでも中心においてしまうとそれは、子供の鬱への道を早めてしまうことに他なりません。端的に言うと極端に自分の幸せよりも周りを優先して訳がわからない状況に落ち込むのですね。そしてそのうちそうした状況さえ理解できなくなりますし、色々な人や物に対して不信感が大きくなり怖くなります。私もそうでした。

自分が周りからどう見えるかは、優先する必要のないことだということを家庭で、そして親子で共通して理解することが大切なのだと思います。若い人に鬱の相談をされて、親に申し訳ないとか親孝行のためにと言う言葉を聞くことが最近とても多いです。でも私は決まってこう答えるようにしています。

「苦しんで、我慢して、親の望むことをしているあなたの姿を見て、本当に親が幸せを感じてくれると思いますか? 今、親に反抗して好きなことをしたとしても最後に幸せに過ごしているあなたを親へ見せることは親孝行だと気づけますか?」

子供の年代による親の対応の変化の必要性

アメリカの学校には、カウンセラーという人が必ずいます。そしてそのカウンセラーの仕事の目標はただひとつ。子供が健全に暮らすことができるかどうか、ということです。私自身はそう多くカウンセラーと話す機会はありませんでしたが、自分の状況が非常に苦しい時、娘とのコミュニケーションがうまく行かず、家庭の状況を伝えつつカウンセラーに相談をしに行った事がありました。そのカウンセラーは娘の健全性を保つために私と話してくれた訳ですが、その会話から多くのことを学んだ経験があります。その内容も含めて、私が子育ての中で実際に学んで実践したものを簡単にご紹介します。

考える力を育てる時期(幼稚園〜小学校中期)

この時期の子供たちは、まだまだ幼さがありしっかりとした考えを持つという時期にはいません。とはいえ、様々な考え方を学ぶ大切な時期ですので、親としての役割が大きい時期でもあります。これは私が社会人になりたての若い人を育てるときにも使う手法ですが、答えのない質問、答えの自由は質問(英語では「Open Question」と言います)を多用する必要があります。

この答えの自由な質問とは、実は質問する私たち親側の訓練が必要です。「とんかつと唐揚げ、どちらが好き?」という質問は、二者択一ではありますが答えの自由を奪った質問と言えますね。

でも「とんかつと唐揚げ、美味しいと思う?」というのは、答えがある程度自由な質問です。

更に「揚げ物ってなんだろうね?」となると、答えがかなり自由になります。でも瞬間的に親が子供へ答えの自由な質問をするのは、私の経験上、それなりに意識していないと出来ません。
それは、親はすでに大人になってしまって実際には自分なりの答えを持ってしまっているからです。ただ、この時期の子供に対しては「はい」と「いいえ」で済んでしまう質問というのは、百害あって一利なしです。私は脳科学者ではないので、詳しいことはわかりませんが、脳が発達している最中というのは脳の中で思考力を育てているという当たり前なことが起こっている時期だと想像します。
その時期に考えることをサボることができるようなコミュニケーションをしていると、親から与えられた選択肢から選ぶだけの単純な脳の構造に陥るように思います。この時期に色々な考え方を、あれやこれやと無駄と思われる会話でも時間をかけてすることによって、子供の考える力や脳の発達の手助けとなります。更にいうと目に映るものへの興味や、疑問がわくのもこの時期です。

その疑問「なぜ」にすぐに答えを渡さないという態度は親心として難しいですが、しっかりと対応することが大切です

反抗が芽生える時期(小学校後期〜中学校)

反抗心が芽生えてくるというのは、とても大切な時期です。これは自分なりの考えや理解がしっかりと形成されつつある証拠ではないかと思います。

反抗期がないほうが心配した方が良いと言われることもあります。私が娘の学校のカウンセラーに相談をしに行った時期はまさにこの時期の真っ最中でした。

カウンセラーからは、どうやって会話しているか?と聞かれたので、前述の答えの自由な質問をしていると答えたのです。当時、私は職場にいても人を育てるということにある程度自信を持っていましたし、オープンクエスチョンによって人材が育つことをわかっていたので、何の疑いもなく娘に対してもそう接していました。ところが、カウンセラーの方からの答えは衝撃的で、この反抗心がある時期にその質問方法で接していては反抗心に火を付けるだけで、答えるのが面倒になる気持ちを大きくするだけだと言われたのです。

親としてこの子供の反抗期を扱うには、逆に選択肢のある質問、選択だけさせる質問へ変化させなければダメだという話でした。

そうすることでコミュニケーションが続けられるというカウンセラーの彼の言葉に目から鱗の気持ちになったのを今でも覚えています。実際に、そうした対応に変えてみたところ娘とのコミュニケーションがスムーズになり、更には思考がある程度固まってきた娘にとっては尊重されている気分になってきたらしく、うまくコミュニケーションできるようになったのを覚えています。

それ以外のコミュケーションは、本人が望んだ時だけに限って、それ以外はしないというのが基本かもしれません。最後に娘と息子が反抗期の入り口に立ったとき、私が彼らに言った一言をご紹介します。

「反抗期は誰にでも訪れるもの。そこからどれぐらいのスピードで抜けられるかは、賢さとの勝負。反抗して学べるものを出来るだけ早く学びなさい」

次回は後編をお届けします。

いつも最後までお付き合いいただきありがとうございます。

鷹松弘章

国際基準の「子育て」

①国際基準の「子育て」〜幸せとは〜

②国際基準の「子育て」〜好きなこと探し〜

③国際基準の「子育て」〜好きなことを探して、見つかったら〜

④国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜

⑤国際基準の「子育て」〜社会の迷惑を悪として捉え倫理観を育てる教育〜

⑥国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと、それは良いこと〜

⑦国際基準の「子育て」〜自分勝手で何が悪い。人は人、自分は自分〜

⑧国際基準の「子育て」〜お金とは何?という教育〜

⑨国際基準の「子育て」〜意味のあるお金の使い方の教育とケチ〜

⑩国際基準の「子育て」〜究極の目標子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜

⑪国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜

⑫国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜

⑬国際基準の「子育て」〜現実的なこと「同性愛、男子、ひとりっ子」〜

⑭国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て〜前編

⑮国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て〜後編

⑯国際基準の「子育て」〜最後に。娘の子育てをひと段落させて思うこと〜

1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。

※連載は週1度を予定しております

※内容は変更することがあります