国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜

人が「してはいけないこと」とは何か?

親である皆さんが、ご自分のお子さんへ「してはいけない」と言い聞かせているものとはどんなことでしょうか?「してはいけない」ことを子供に諭す、叱るという親の作業は時としてとてもエネルギーを使いますね。なぜなのでしょうか? エネルギーを使っているのは、伝えることにでしょうか? 繰り返し伝えることが疲れるからでしょうか?

恐らく親が「してはいけない」ことを子供に伝える時、一番エネルギーを使っているのは「怒り」や「感情」に関連しているものが多いかもしれません。人間が怒るというのは、とてもエネルギーのいるもので年齢を重ねた親がもうそのエネルギーが無いと嘆く言葉を聞くことも珍しくありませんね。

そもそも子供に対して「してはいけない」と思う気持ちは、親のどこから来るのでしょうね?

我々親自身が子供だったころ、そして我々の親、祖父母、曾祖父母、「親」という役割であった人たちが繰り返し子供に伝えていたことで、不変的なものがあります。それは「他の人へ迷惑をかけない」というものです。このコラムの第2回でお伝えした「幸福追求権」の言葉を思い出してください。「公共の福祉に反しない限り」(他人に迷惑をかけない限り)という言葉がありましたよね。人が幸せを追求している時というのは、その人がしたいと思うことをしている時なので、人への迷惑になることが起こる場合があるかもしれません。世代を超えて親たちが子供たちへ伝えていたこの「他人へ迷惑をかけない」というのは、簡単な言葉に聞こえますがとても意味が深いもののように思いませんか。

「してはいけないこと」=「他人・社会へ迷惑をかけない」どう伝えるか

わかりやすい例で言えば、自分の子供が飴を食べたいと言ったとします。親がそこで1つ1つ包み紙に包まれた飴を子供へ手渡しました。子供はその包み紙を開け、飴を口の中へ放り込み包んであった紙をポイと放置したとします。これが家の中であれば、家の床やテーブルの上であったり、屋外であれば道端や駅のホームだったりします。親ならば「こら、そんなところに捨てないできちんとごみ箱へ入れなさい」と言うでしょう。私もそう言います。それで理解し次からはきちんと捨てるような子供だったら、どんなに子育ては楽でしょうね。

しかし、現実はそうはいきませんよね。大抵の子供は、次もその次も、そしてポイ捨てしない癖がついたのに、忘れたころにも同じ行動を繰り返すことがあります。小さい子供、特に小学生低学年までなら「いけないことは、いけない」ということで繰り返し教えることが良いでしょう。これは計算問題などを繰り返し練習させることに似ています。しかし小学高学年、中学年から高校生ぐらいまでになると、「なぜ」が重要になってくるのです。この「なぜ」を教えることに親の難しさがあります。

「してはいけないこと」をしてしまう子供を見て、注意を促すとき、特に繰り返し伝えなければいけない状況は、親といえどもイライラします。いえ、親だからこそ、家族だからこそイライラするのです。どうしてなのでしょう?

それは自分から見て赤の他人であった場合には、その子供に対しては責任がなくそれほど気持ちが強くないからです。でも、その子の将来を考えたら、心配でたまらないからこそイライラして、そして思いの強さは感情となって現れます。よく、育児本などで「感情的に叱っては逆効果」などと説明されていますが、そもそもどうすれば感情的に叱らずに済むのかを考えてみましょう。

どうすれば「感情的」に叱らなくて済む?

まず、イライラしている自分を認めてみてください。突発的にイライラして叱ってしまった後でもよいので、そのイライラの原因を自分の中で探ってください。子供のしている行動や言動を見つめて、一度、実際には、どんな部分にイラついたのかを考えます。

例えば、中学生の子供に何度言っても、ゴミをゴミ箱へ捨てない子供がいたとします。あなたは親として何にイラついていますか? 何度言ってもわかってもらえないことでしょうか? それともゴミをそのあたりにポイと置き去りにする態度にでしょうか? または注意しても「うるさいなぁ」という態度や目線にでしょうか? 色々なイラつきの原因が見えてきます。 でも自分のイラつきの原因は、実際には二次的なものなのかもしれません。

二次的とはどういうことか。それは本来、そのことについて注意する根本的な理由があるのに、その本来の理由がわからなくなって、かつ子供の態度などが相まって叱っている親でさえ本当の理由が見えづらくなっています。ここまでくるとイラつきとイラつきのぶつかり合いですね。ですから、次に「なぜ」の部分の根本的なことを1時間、2時間、1日かかっても良いので心の中で整理してみてください。

そこで大切なのは、この子供のために叱っていて「心配している」自分の気持ちを見つめるのです。なぜ心配しているのか、何を心配しているのかを徹底的に心の中で追求します。夫婦で話し合ってもいいかもしれません。「こんなにイラついてしまったのだけど、本当に心配している理由ってなんだと思う?」とご自分の相手や親友達に相談してみることも良いかもしれません。大人同士、親同士で話すと自分を見つめる良い場になります。そうして行くと、親というのは不思議なことに、実は常に子供の将来のことを見据えていることがわかります。

子供の近い将来でも、大人になってからでもそうですが、同じような行動を社会の中でとると、本人が困ることになるのでは?と思っているのです。それは究極のところ「この子が苦労する、幸せになれないのでは?」という不安にすべてが繋がっているのです。では、逆にこの究極の感情からみて、ゴミを適当においておく我が子の何を心配しているのでしょうか。

我が子の何を心配している?

次の手順はそこを考える方法です。もし、この子が社会に出て、学校へ行って、職場へ行って、会社を経営していて、クラブ活動をしていて、ゴミを適当においてしまう人間になった場合、その子供に何が起こるのが。先ほど言った究極の段階のもう一段上の理由から見つめてみます。

例えば、職場で食べたものを片付けない、自分の散らかしたものを片付けられない人がいるとすると、そこには、代わりに片付ける人が出てくるはずです。同僚であったり掃除を担当している職員の人かもしれません。これは、すでに最初から私が言っている「社会に迷惑をかけない限り」という条件に反してしまうのですね。それは、実は家族の中でもそうです。「家族に迷惑をかけない」というのは、子供にとって「社会に迷惑をかけない」ということの練習になっています。この状況で、その究極な感情を見つめられると、時間が経った後でも子供と冷静に話すことができるようになります。

先の例であれば、私ならこう言います。

「昨日、ソファーの上に置き去りにしていた〇〇(名前)のお菓子の袋。片付けないあなたにお父さんは感情的に怒ってしまったね。申し訳ない。冷静に考えてみたので聞いて欲しい。お菓子を食べたいと思って食べることは、〇〇の自由だしそれは自分のしたいことをしているよね。でもそこで置き去りにされたゴミは、誰かが片付けない限り、そのままそこに置き去りのままになるね。お父さんかお母さん、あなたの妹が片付けたとしても、それは食べた人間以外の人がその人の手間と時間をかけて片付けることになるんだよ。それは、他人に対してしてよいことかな?」

というように、感情の外にある論理的なこと、社会的な見地から話しますが、最初に感情的になった親が自分自身のことを謝ることで、子供の聴く態勢を得やすくなると思います。可能な限り他の家族のメンバーがいない2人きりの環境で話すと良いでしょう。これは大人でも子供でも同じですが、第3者がその場にいると素直になれないのが人の性で守りに入ってしまうからです。私の場合、子供の部屋まで行き、そこで話します。最後に質問で終わることで、親が言わんとした根本的な理由を伝えて、一人で考えてもらうことがでるのです。

もう少し日常の例を取り上げてみましょう。例えば、子供が学校から帰宅していつも手を洗わないこと、うがいをしないことを何度注意しても習慣にならないとします。なぜ、親、大人は手洗い、うがいをするように子供に言うのでしょうか。

「社会・家族へ迷惑をかけない」という点で冷静に考えてみましょう。外で、学校で、いろいろなものに触れてきた子供たちが、家の中に雑菌を持ち込む、病気を持ち込むからという理由があります。それは家族への迷惑を直接的にかける理由ですね。また、とてもよく風邪をひく子供の場合はどうでしょう。風邪をひくことによって、家族の看病を必要としたり、両親が働いている場合にはその風邪をひいて学校に行けなくなることで、仕事にも支障がでます。最終的には、自分の自己責任で完結せず家族への迷惑や影響を引き起こす結果になるからこそ、自発的にそうした結果にならないようにする防御の意味での手洗い、うがいですね。この点を感情的にならず伝えられることが大切だと思います。

読者のみなさんの中には、「家族だから迷惑なんて言ってはいけない」とおっしゃる方もいるでしょう。でも、家族という単位は社会の中での一番小さく、お互いの距離が一番近い単位ですから「迷惑をかけてあたりまえ」という教育は間違っています。もちろん、不可抗力的に流行り風邪をもらってしまった子供に「それは迷惑だ」などと言えということではありません。むしろ、自己管理の失敗だけで風邪をひくなら、それはきちんと「自分の責任で防げることだね」という会話の必要があります。もちろん、子供が親に甘えてよい場面というのは存在するでしょう。ただ、子供が意識的に甘えているか、無意識で甘えを利用してしまっているかという点は、とても大きく違うのです。

また、毎回ではないですが、私は定期的に話し合いの最後に次のような言葉を付け加えるようにしています。仮に、子供が聞いていない態度をとったとしてもそれを言い残して子供から離れることで、子供なりに消化しようと考えてくれることが多いです。

「○○が大人になった時に自由に、楽しみたいことを楽しむために必要なこととして伝えたいと思っている」

この原点は、可能な限り社会に迷惑をかけず、また迷惑と思われる行為をせずに自由に生きていくという部分です。人間は生きていれば、知らず知らずのうちに人に迷惑と思われる行動をとってしまうことがあります。気付かないケースはとても難しいですが、気付くことのできる部分では気づかせてあげたい、それが親心であり親の責任なのかもしれません。

実は、こういう子供のころの練習は、昔の日本、兄弟姉妹の多かった、そして外で大人数と遊んでいたころであれば、周りの人との関係の中で自然と行われていた「社会への迷惑」の認識トレーニングなのですね。核家族となり、少子化となって、更にはインターネットやゲームの登場で子供が大勢で関わる時間が少なくなったのは今日の現実です。こうした「個の時間」が増えた現代には、親や家族が成す役割が大きくなったと思います。

ひとつ、IT関連の仕事をしている私として親の皆さんへお伝えしたいことは、もしお子さんがインターネット上で他の人と繋がりながらゲームをしたりSNSに夢中になっていたりしたら、それをここで言う「個の時間」と決めつけず、そこにも社会的な活動があり、彼らの学ぶ機会があることを理解してあげてください。今のネット社会は、顔が見えない分、表現がとてもストレートで我々大人から見ると目に余ることもあります。でも、子供たちはその中で、外で集団になって遊んでいた頃よりも、もっと直接的な表現で自分の言動や表現に関して他人の反応を受け取る機会があります。この直接的な反応で彼らは、昔と同じように社会でのルールを学んでいっているのです。

次回は、実際にどう子供に伝えるかを考えます。いつも最後までお付き合いありがとうございます。

鷹松弘章

国際基準の「子育て」

①国際基準の「子育て」〜幸せとは〜

②国際基準の「子育て」〜好きなこと探し〜

③国際基準の「子育て」〜好きなことを探して、見つかったら〜

④国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜

⑤国際基準の「子育て」〜社会の迷惑を悪として捉え倫理観を育てる教育〜

⑥国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと それは良いこと〜

⑦国際基準の「子育て」〜自分勝手で何が悪い。人は人、自分は自分〜

⑧国際基準の「子育て」〜お金とは何?という教育〜

⑨国際基準の「子育て」〜意味のあるお金の使い方の教育とケチ〜

⑩国際基準の「子育て」〜究極の目標子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜

⑪国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜

⑫国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜

⑬国際基準の「子育て」〜現実的なこと「同性愛、男子、ひとりっ子」〜

⑭国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て、そして最後に〜

1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。

※連載は週1度を予定しております

※内容は変更することがあります