子ども達の未来のために必要な教育 それは「哲学」
近年、日本社会では倫理観を損なう事件であったり事象が頻繁に起きるようになりました。それと共に、子供たちが将来に向けて夢を持てない社会になっても来ました。
一体その原因はどこにあるのでしょうか。
子どもが夢を持てない社会になった原因
近年、日本社会では倫理観を損なう事件であったり事象が頻繁に起きるようになりました。それと共に、子供たちが将来に向けて夢を持てない社会になっても来ました。一体その原因はどこにあるのでしょうか。
他の人の生命や、人生、持ち物に敬意を払えない、または尊重できないという社会は、たびたび「ルール社会」を作ることで統制を図ってきた歴史的経緯があります。すでに消滅したソビエト連邦や、独裁国家となった旧東ドイツなどがその例です。また、そういう社会で生れてくる子供たちは、夢を持つことが難しくなっていきます。
国連の調査から幸福度が高いと言われる、北欧や西ヨーロッパ、中堅のアメリカなどの国と現在の日本の社会構造で、大きく違う点は「哲学」の扱いです。
日本と外国における、哲学の授業
現在ヨーロッパのほとんどの国では、哲学は高校生になるまでの必修科目です。アメリカでは大学で必修科目ですが、近年高校生以下の学年に必修にさせる必要があるという動きがあります。いずれにしても、その国の幸福度と子供たちが哲学を学んでいる国との関連性が見えてきます。
日本では、道徳や倫理という名前で、答えのない学問「哲学」をきちんと小中学生へ教えている時代がつい最近までありました。答えのない学問というのは、教育者や親の立場からは教えにくい学問でしょう。
しかし、近年言われている日本で育つ子供たちに”ディスカッション能力”が必要なので練習させよう、という動きに関して言えば、哲学の持たない子供たちがディスカッションをすることの難しさにすぐに突き当たります。
哲学とは、答えのない社会的な問題に自分なりの意見を持ち、その意見を軸に自分が行動するという側面があります。
軸を持った意見をディスカッションして、お互いの意見はお互いの意見として尊重する。そうすることで、人との違いについて理解しつつも、自分の意見をしっかりと確立していくという「大人」が社会へ出現するのです。
そうすれば、倫理観という共通の概念をもちつつ、意見や行動方法が違うことをしっかり尊重しあい、その上で意見を出し合う社会へと向かうことができます。
親ができる哲学の教育とは
ですから、教育者や親である皆さんには、恐れることなく哲学を子供たちへ伝えて欲しいと思います。
哲学という言葉の難しさのニュアンスに未だ抵抗があるのであれば、もっと簡単に考える方法があります。それは1つのものを見ていても角度や人によって見え方が違うということを認識して子供たちへ伝える方法です。
よく、オンラインにも人の顔が2人向き合っているように見える人もいれば、ワイングラスに見える人もいるという絵がシェアされていることがあります。そうした題材は、社会の全てのものに共通です。
身の回りに起きる事象全てに哲学があり、見え方が違う。でもその中で子供から見た景色はどうなのか?親はどう考えているのか。意見が違ってもお互いの見え方を説明しあうことで哲学の勉強になります。
是非、哲学の教育を大切にした社会にしていきたいですね。
〜執筆者のご紹介〜 鷹松弘章氏
1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。
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