国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと、それは良いこと〜
子育てで悩んでいる、これから子育てが始まる、子育てがひと段落したママ・パパに是非読んでほしい!元Micorosoft主幹マネージャ、自身も2人の子どもを持つ親でもあり、米国在住の鷹松弘章氏による連載コラムです。
今回は「他人と自分が違うこと、それは良いこと」についてです。
前回、「周りの人がこう見るから」と、他人の目を気にして子供を叱ってしまうことがあると言いましたね。
この価値観というのは日本独特なものだと知っていましたか?私が子供のころの日本は、今よりも個性を重視してもらえず、「普通」でないところは「おかしい」とか「変」とかいう表現を子供へ向かってしていた大人がたくさんいました(今もいるかもしれませんが)。
皆さんも経験ありませんか?他の人と違うことを「変」とか「おかしい」という表現で言われたり言ってしまったりしたこと。人間は、みなそれぞれの個性ってあります。十人十色という言葉もそういう意味ですよね。
ところが、日本でいう「普通」とは、大勢の人が「平均」だと思っているとても曖昧なものであったりします。その日本の「普通」が日本の外ではかなりの確率で「異常」であることなど気にも留めずに。
「いじめ」が社会問題になるほど大きくなったのは、昭和の後期あたりからいままで数十年間です。もちろん、日本以外の国や地域でも「いじわる」「いじめ」は存在します。でも、いくつかの点で大きく違うんです。
日本と海外の違い
日本と海外の「変」に対しての価値観の違いを、いくつかの事例に沿って紹介していきます。
息子の例
ある時、親しくしていた日本に住む自由を謳歌している大人から、息子へ誕生日プレゼントが送られてきました。その小包を開けてみたら、とても高級なワイシャツが入っていたんです。
ところが、そのワイシャツには特徴があって、あたかもクレヨンで描いたような蛍光黄色の蝶ネクタイが立体的に刺繍されているものでした。私の予想に反して、息子は「恥ずかしい」と感じるのとは逆に「明日学校へ着ていく」と開口一番言ったんです。
私としては、日本人の感覚からすると、そんな冗談めいた目立つものを学校に着ていってわざわざ人の目をひいて嫌ではないのかな?と疑問になったのですが、彼の好きにさせて次の日学校へそのワイシャツを着ていきました。
自宅に帰った息子に、「どうだった?あのワイシャツ」と聞くと、友達に「それいいねー」とか「かわいいじゃん」とか「ユニークだし面白いね」と言われたというのです。
その時、「ここはアメリカだった」と自分が恥ずかしくなりました。
そしてそれらの言葉をかけてくれる周りの子供たちに感謝して、尊敬の気持ちでいっぱいになったのです。
娘の例
娘が小学校低学年の時、自分の得意なものの作り方をクラスみんなで共有しあいましょう。という単元があって、前日の夜に何にしようかと相談していたんです。
娘は「折り紙だよ。みんなで鶴を折る」と言いだして、私としてはそれはそれでよいアイデアだと思ったのですが、一つ心配になったことがありました。
それは、アメリカで働いていて、きっちりと仕事をすると「やっぱり日本人だね」というコメントが来ることがあって、私としてはそれは褒め言葉なのか、そうでないのかわからないところがありましたので、小学校低学年の娘がそう言われたらどう感じるのだろう、と不安な気持ちもありました。
次の日、親たちが参加してそのクラスが行われたとき、折り紙を教える娘の姿があったのですが、周りにいるクラスメイトは、それはもう穴があくのではないかと思うほど、娘が折っている折り紙を凝視しては、「すごいねぇ」とか「うわー」とか「なんでこんなことできるの」とか大人の目から見ても大袈裟ではないかと思うぐらいの声をかけているのです。
娘はあまりにクラスメートにそう言われるので、恥ずかしくなっている感じもしましたが、最終的にはとても誇りに思った表情になっていったのです。
写真を撮る時
これも欧米の例ですが、学校や部活動などで集団写真を撮るとき、日本でよく撮影するような真面目に皆が前を向いた写真をとりますが、その写真を撮ると決まってカメラマンや、先生から出てくる言葉があります。
「ファニーフェイス(面白く変な顔)」をして次の一枚を撮ろうというものです。
これは、文化の一部にもなっていて家族や親戚で撮影するときでさえも飛び交う言葉です。
後ほど写真を見たときに誰がどんな面白い顔をしているかという楽しみが増えるのですが、個々がそれぞれの個性を出して瞬間的に考えた面白く変な顔をすることで個性が発揮される場所になります。どれだけその場を「真面目に」楽しんでいるかという問いかけでもあります。
見たことのないものへの反応
アメリカでよく見かける光景ですが、車に乗っていると歩道をヘッドホンをしながら、意気揚々と踊りながら、リズムをとりながら踊っている子供や、ティーンエージャー、大人に出くわすことがあります。
小さな子供というのは、自分が見たことのないものに出くわすと「疑問」を持ちますよね。
そして親に質問することがありますね。
その時、我々日本人は、自分がどう思うかを基準に子供に接してしまうことってありませんか?ちょっと気が違っているかもしれないから不思議ねとか、春で暖かくなったからね、なんて実は差別的な言葉を発してしまうこともあると思うのです。
ところが、アメリカの親たちの反応の多くは「ねー、楽しそうね、きっと今日は気分がいいのよ」とか「あの踊り、上手だなぁ、いつかプロのダンサーになるんじゃない?」とか親の反応がとてもポジティブで尊重と愛に満ちているんですね。
「変」と「ユニーク」は表裏一体
最後の例のような対応や反応は、アメリカでは文化の一つなので、親が意識しているものではありませんが、過去の経験からそうした尊重のものの見方を、子育ての中での「違いへの尊重」、個性を認めて育てる、それを尊重するという親の意識が強くあります。
人種も文化も全く違う人たちが集まったこの国では、違うことは当たり前で、個人個人が違うことを尊重しようと思っているのですね。
そしてこの国の人たちは、そうした一人一人の個性が大人になった時、社会の役割をそれぞれの個性で構成することもわかっています。ダンスが好きで上手ならダンサーに。パソコンが好きでいつもパソコンに向かっているならITの専門家に。庭で虫ばかりみて研究して夢中になっているなら、バイオ系の研究職に、人の話が聞こえないぐらいに黙々と細かな色塗りも没頭するならデザイナーに、細かなところが気になって掃除ばかりしている子は町の清掃計画を立てる人に、それぞれの「個性」が社会の「役割」につながっているという意識です。
「個性」は日本では「ユニーク」と表現されることがあります。この「ユニーク」は英語の意味で言うと「他にない」という意味ですね。他に無いからこそ大切にしたい、社会として大切にしようということなのです。
子育てをしている親が「ユニーク」なものへの尊重と敬意を払うことが、これから育っていく子供が、「変」なことを良いこと、尊重すべきこととして捉えていく基礎になるのでしょう。大人、親のこの部分の責任はとても大きいものがあります。どんなに変わったことでも、親がプラスに捉えていく姿を見せることで、子供もその表裏一体なことに気付き、「変」ということをプラスに捉えていくようになるのですね。
私は日本を離れて今アメリカに暮らしていますが、海外に出ている日本人の人と会うことが多くあります。日本で言われる「変」という物差しをあてれば、自分も含め、皆さん「変」な人だと思います。
一風変わっているのです。そしてみな十人十色。
でも、彼らと話をしていて気づくことがあります。おしなべて、皆さん日本が窮屈になって海外に出る気持ちになっているのです。それは、日本の「普通」に当てはまらないからですね。
でも、日本の外に出るとそれで良いと気付くので居心地がよいのです。移民が中心になって人口を増やしているアメリカでは、それこそ職場でも学校でも人種の種類があまりにも豊富です。
そして、そこに自分の個性を持ってきた場合、それは長所であって短所でないことに気付きます。日本では「社会不適合」のような烙印を押されることがあった私たちも、一度日本の外に出るとそれが「普通」な社会で伸び伸びと生きていけるのです。おわかりでしょうか。
実は、日本の「変」は、世界の「普通」。そうなると、日本の「普通」は何なのでしょう?
そうなんです、世界の「変」が凝縮されたのが日本の常識的な社会なのです。
でも、人間は生まれる時はみな同じ、白紙の状態で生まれてきます。そうなると、こうした「変」や「普通」を擦りこんでしまうのは、親であったり、その後に出会っていく大人の勝手な思い込みなのですね。そうして子供たちを不自由な状況で育てていくことのないよう、子供の自由を尊重して、社会に迷惑をかけない、そこから好きに生きるという気持ちを育んであげてください。
次回は、人への干渉について考えていきたいと思います。
いつも最後までお付き合いありがとうございます。
鷹松弘章
国際基準の「子育て」
①国際基準の「子育て」〜幸せとは〜
②国際基準の「子育て」〜好きなこと探し〜
③国際基準の「子育て」〜好きなことを探して、見つかったら〜
④国際基準の「子育て」〜「してはいけないこと」とは、どう伝えるか〜
⑤国際基準の「子育て」〜社会の迷惑を悪として捉え倫理観を育てる教育〜
⑥国際基準の「子育て」〜他人と自分が違うこと、それは良いこと〜
⑦国際基準の「子育て」〜自分勝手で何が悪い。人は人、自分は自分〜
⑧国際基準の「子育て」〜お金とは何?という教育〜
⑨国際基準の「子育て」〜意味のあるお金の使い方の教育とケチ〜
⑩国際基準の「子育て」〜究極の目標子供の自立。実は親の自律が鍵だった〜
⑪国際基準の「子育て」〜人はなぜ生きるのか、徳の循環を伝える〜
⑫国際基準の「子育て」〜親の幸せを諦めないで。幸せな親にしか幸せな子供は育てられない〜
⑬国際基準の「子育て」〜現実的なこと「同性愛、男子、ひとりっ子」〜
⑭国際基準の「子育て」〜今からでも遅くない、障碍・鬱・年代別の子育て、そして最後に〜
1998年Microsoft Corporation日本支社へ入社。2001年からアメリカ本社にて技術職の主幹マネージャーとしてWindowsなどの製品開発の傍ら、採用・給与・等級などのレイオフまで携わり、米国企業の最前線で勤務。20年の勤務後、現在はデータ解析大手の米国Tableau Softwareシニアマネージャー。同時に東証一部上場のスターティアホールディングス株式会社社外取締役、NOBOARDER Inc. 社外取締役兼 CTO。2019年5月には「世界基準の子育てのルール」という本も出版。
※連載は週1度を予定しております
※内容は変更することがあります